第一章
 
二、三種の基本の虚実

 (1)足の虚実――足の虚実の区分とはつまり、片足の負担を少し重くし、もう片方の足の負担を軽くするということである。力学の原理に基づくと、体の重量の重心は両足の中間部分1/3の範囲にあり、図9のような半軽半重①(半重とはこのときには両足に地面に食いこむ勁が存在しているが、その重さが違うだけである。よって半有着落、または半軽半重とよばれる。これは正確な姿勢である。)と呼ばれる状態である。もしこの重心がこの1/3の範囲からはみ出てしまうと、図10のように虚になっている足が過虚の状態となり浮き上がってしまう偏軽偏重②(片足にかなりの体重がかかりもう片足は過度に軽くなってしまうのは大きな欠陥であり、偏無着落、または偏軽偏重という・)とよばれる状態になってしまう。

 その他、運勁および発勁の時には、動作は曲線的で蓄えと余裕がなければならない。それが発勁後であっても四肢が伸びきってはならない。真っ直ぐになってしまう部分があった場合、虚実の変換時にまず直線を曲げてから伸縮作業に移らなければならないからである。しかしもし手足にカーブをつくっていれば、一瞬にして旋回動作に変換でき、直線から作り変えるという面倒なことを気にする必要がない。これは動作を自動化する上での基本となる事柄である。

 このように、太極拳の両足に対する虚実の要求は、いついかなる時でも一虚一実の入れ替えが必要であり、だんだんとその比率を縮めていき、虚実の変換を迅速にしていく。もし両足の虚実の変換が遅いと、手の変化について行けず、上下が対応しないバラバラに分かれた動きになってしまい、周身一家の実現が困難となってしまう。

 (2)手の虚実―-勁を手まで運んで掤する場合にこの手は虚となり、これを下に沈める際には実となる。太極拳の両手の動作は両足の動作と同じく虚実を分けなければならない。両手で双按を行う場合、例えば六封四閉の時などには4対6の比率に分ける。手の虚実の比率は足とは少し違い、熟練するにしたがって個別の姿勢を除いては3対7から4対6の間になる。これはリラックスして心を静かにした状態で片方の手に専念し、その手をメイン、逆の手ををサブとする為に規定されている。ここで非常に重要なのは、四肢だけでなく意と気の変換をも迅速におこなわなければならないということである。特に右手に関して。

 (3)手と足の虚実—―虚実の分け方に関して最も苦労するのが、一手一足上下の虚実という分け方である。健康と実戦でもっとも効果を発揮するのがこの手足の上下の虚実であり、これは歩法を協調させるための核心でもある。具体的には、右手が沈む時に実になると同時に右足は虚となるが、右手が上方にポンされる時には虚にかわり、右足はそれにともなって実となる。これが、”上下が相随した虚実“の分け方である。
 太極拳の『打手歌』には、”掤捋擠按を真剣に実行することによって上下がしっかりと協調しあえれば敵の侵入は難しい”と書かれており、その重要性が伺える。よって、練習の時には全ての動作に関して十分に上下相随の要求が達成されているかどうかを一つ一つチェックしなければならない。型を一回やってみるだけでも、その中に含まれているいろいろな姿勢の変化は非常に複雑であり、上下協調を達成するにはやはりかなりの努力を要する。

 このような変換は、歩を進めるときに足に従って手の虚実を変化させる時以外ほとんどの場合において足が手に従い虚実を変換させる。手足で虚実をわけることができるようになり、重心の位置が両足の1/3の位置に収まり、左右の足がともに地につくと内勁が中正(中心に真っ直ぐ)になる。内勁が中正となってはじめて八方を支えることが可能となる。このような虚実のロジックを地面の上の足の置き場所の点からみると、虚の中に実があり実の中に虚があるということになる。このような上下が協調した虚実を備えてはじめて、歩法が軽快で滞りがなく進退が自由自在となる為相手の動きにつき従うことができ、相手との繋がりが途切れたりぶつかったりという悪習を無くすことができる。また同時に、推手に熟すると相手と触れている方の手だけに注意すれば、残りの手と両足が上下相随することが習慣となり、全てに気を配る必要がなく自動的に体全体が協力するようになる。これは動中に静を求める際に静を得るためのポイントである。


   
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